フィリピン実習生とアレコレ

フィリピン技能実習生にまつわる雑感です。現場から見た外国人労働者との関わり、特定技能ビザの問題についても記します。

ベトナム人は日本人に似ている??

外国人労働者の派遣会社という奇特な職業についているので、ベトナムやフィリピン人とは職場で毎日の様に接している。最も多いのがベトナム人だが、「ああ、これは大変だ」と痛感する場面がある。

少子高齢化に関してようやく政府も本腰を入れ始めたようで、移民の受け入れが話題に上る時代になったため、このことについて少し書いてみたい。

 

こと日本のメディア、経済界においてベトナム人は総じて評価が高い。「日本人に似ている」「真面目」「器用」などなど。

実際のところ、フィリピンに比べると似ている面は多い。まず北部の人を中心に外見が似ていてあまり日本人と見分けがつかない。ハノイあたりを歩いていると「日本のどっかで見たなあ」という奴とすれ違うことがある。

 

儒教文化のため、目上の人に対する態度もそっくりで、会社で上司が入ってくると立ち上がって直立不動の姿勢を取ったり、返事をハキハキとする。これが米国式教育のフィリピンだと、色が黒い上にポケットに手を突っ込んだり、ガムを噛みながら話を聞いたりと、なんとなくダラーっとしてみえるのだ。

 

プライベートでもカラオケをすると真っ先に人前に立って歌って踊りだすのはフィリピン人。慎ましやかなベトナム人は「恥ずかしい」と前に出てこない。こんなところも親しみがわく(まあ、フィリピンの明るいところは楽しいのだが)。

 

また、ベトナムでは日本語は人気のある外国語第2位で、日本に対するイメージは極端によい。日本への留学生の数も多く、元留学生が帰国後に政府の幹部になったり、ベトナム人同士で結婚したのに帰国せずに家を買い、子供を日本の学校に通わせる人までいる。

 

欧米嗜好が極端な英語国フィリピンでは日本へ留学する学生や、日本語学習者はまれである。極端な言い方をすると日本語は飲み屋のお姉さんが話すくらいで、エリートは興味ないのである。

 

では、ベトナム人は本当に日本人に似ているのか。むしろ、深く知れば知るほどその違いを痛感するはめなる。

 

まずは思考パターンが全く違う。もちろん全員ではないが、日本の大学を出て通訳などで就職し、こちらに生活のベースをおいている方々と日々接して思うのは、彼らが日本を選んだのはあくまで「治安」「生活水準」「利便性」といった数値化されるモノを求めているだけで、その背後にある「日本文化」というものに興味があるようには思えない。いや「ない」といってよいのではないか。

 

日本の面白いところは仕事や会社経営、スポーツまでいろんなことを哲学的に変換してしまう所だと思う。よく武道がたとえとして挙げられるが、単なる殺人技術のトレーニングだったはずのものを「修行」と置き換え、人生に対する学問にまで昇華させてしまう。ビジネス分野でも経営や仕事の自己啓発本の中に「仕事と思うな人生と思え」的な教えはあふれている。

 

この考えは日本独自ではないだろうが、学校教育でもこの手の「自己を高めて社会に寄与貢献」という教えはあり、我々の中にこれが普及しやすい文化的な背景があることは間違いない。

 

だが、日本にいるベトナムの方々、しかも通訳や留学生といったエリート層と接していて感じるのは、母国でひたすら自分もしくは自分の家族の利益をいかに高めることしか教わっておらず、日本に来てもそれのみを追求する人が多いことである。

 

背景にあるのは民族意識の強さだろう。アメリカに戦争に勝つだけあって、非常に頑固で誇り高く、なかなか他国の文化にとけ込まない。神戸市長田区や姫路市には難民で来たベトナム人とその家族のコミュニティが数百世帯規模で存在するが、何十年住んでも日本語を学ばず、同胞同士でしか結婚しない。「日本の中のベトナム」で暮らしている人が大変多いのである。

 

こういう背景があるので、会社の社長が延々と経営理念などを語ってもあまり興味がない。その反面、給料やボーナス、有給といった点は集中して話を聞くという状況が多くなる。極端な者になると「自分の仕事に線を引く」ことが大好きになる。担当として割り振られたことは労をいとわず働くが(本当によく働く)、それ以外は「給料に反映されないから」断固として拒否するのである。

 

「日本という環境は好きだし日本語も上手いが、本質的に日本人の考え方に関心はない」これは大変厄介である。ものすごく親日的で服装も言葉も、外見も日本人と変わらないのに、突然理解できない壁が現れ面食らうことが多々ある。

 

もちろん全員がこういう方ばかりではないのだが。ベトナム人というのは思っているほど日本人と違わないし、似てもいない。と思うのである。