高齢者のサービス業
先日銀座松屋と大阪高島屋の紳士服売り場に行って感じたことがある。販売員にアラフィフのおばはんが多すぎるのだ。
以前は百貨店のネクタイ売り場は若い美女が接客するものと決まっていたらしい。確かに試着し、「ステキですよ」なんて美人に言われたら財布の紐も緩むが、オカンみたいな歳の女性から褒められても冷める。
紳士諸君は皆、妙齢の女性に褒められるためにオシャレするものだ。
もう一ついうとおばはんらバブル期の接客・営業技術は高くない。適当にやってるのが丸わかりだ。
この前、裾上げに近所のお直し屋さんに行ったら、またも店員は枯れ切ったばあさん。
後でクレームが来るのがめんどくさいのか、バブル期の名残か、何度指示しても長めに裾を合わせようとする。今流行りのくるぶし丈なんて想像もできないのだろう。
歳をとるとエネルギーが衰えるため、何事もめんどくさくなる。異性にもてたいという欲求も失せ、外見には自然と無頓着になる。
オシャレやデザインなんて結局は自己満足と自己表現が狙いだ。ミリ単位のこだわりを遊ぶものだから、基本的に高齢者には向かない職業だと思う。
国内の百貨店は今や、中国人の爆買いのおかげで持っていると言う。ピンクのダウンを着た中国人にブランド品を売りつけることしかできなくなっているのではないか?
高齢化の影響はメーカーにも見える。円安で日本製を謳うブランドが急増したが、生地や縫製が良くともデザインがイマイチなものばかり。シャツを例に挙げると、私は首が太いので首に合わせて買うとアームホールや腹回りがダブダブになる。フランスのラコステみたいな綺麗なシルエットにならない。
パンツも同じで日本メーカーはイタリアのPT01やインコテックスのパターンはなかなか真似できないらしい。イタリアブランドのシルエットに徹底してこだわるところや、製造効率を無視した遊びの部分は素人目にもカッコ良い。
やはりコンセプト自体が違う。日本メーカーはどうしても効率ばかりを重視して、無駄を避けた無難なデザインにしかならない。貧しい幼少期を過ごしたオッさんがデザインするとこうなるのだろう。
とはいえ、豊かな時代が長く続いただけに日本には若い世代に素晴らしいデザイナーたくさんいるはずだ。
デザインセンスに長けた若い国内ブランドがもっとたくさん百貨店に出てもよいと私は思うのだ。