フィリピン実習生派遣とアレコレ

フィリピン技能実習生派遣にまつわる雑感です。外国人労働者との関わり、アジアビジネスについても記します。

海外現地採用で働くリスク

近年海外に就職をもてはやす傾向が強い。私自身、大昔現地採用で4年間働いていたので、概ねこの意見には賛成である。私も娘がいるが、日本人は女性ほど海外に出るべきと考えている。

 

なぜなら、この国では女性の活躍なんてまだまだ先の話。知人の大企業のおっさん上司は「女は足と顔が綺麗だったらええんや」と影で言っていた(笑)し、私が勤めていた兵庫県の田舎会社では「寿退社」という言葉が未だにまかり通っていた。

 

よっぽど図抜けた天才でないなら、女性ほど海外で働いた方が良いのではないかと考えている。

 

しかし、私の以前のフィリピンの勤務先でこの度悲しい話を聞いたので、現地採用のリスクについて触れてみたい。

 

私が20年前、入社した日系会社は少し特殊な業種だった。

 

日本でもそうらしいが、「いちいち教えないから、やり方は自分で考えろ。見て盗め」という昭和の徒弟制度が色濃く残り、その癖失敗すると怒鳴りつけられるなんてしょっちゅう。当時の日本人の男性上司の厳しい指導には殺意が沸くほどだった。(笑)

 

同僚も皆若いので事務所でつかみ合いの喧嘩や怒鳴り合いになることしばしば、周りで見ているフィリピン人社員がヒいていたことを覚えている(万事テキトーなフィリピン人が仕事上で面罵しあうことはほぼない)。

 

 

私の初任給は月3万円、フィリピン人の賃金が1万2千円の時代だった。とはいえ、現地採用で日本人を雇うなら月8万円ほどが相場だったので、異常に低い金額だ。よく考えたら帰国の航空券すら買えない(笑)。

 

ただ、仕事は面白かった。よそでは味わえないエキサイティングな経験をさせていただいた。今の私があるのはこの会社のおかげと思っている。

 

常時、現地採用の日本人同僚が5、6人いたのだが、いずれも5年ほど働いて日本に戻ると割り切っていた現地採用組。いわば腰掛けだ。

 

このチームをまとめているのがフィリピン人妻を持つ件の日本人上司だった。

 

仕事上は厳しかったが、職場を離れると慣れない海外生活に苦しむ私を飲みに連れて行ったり、トラブルが起きた時もかばってくれるなど社会人としての基礎を教えてくれた。

 

また誰よりも自分に厳しかった。この業界でも一流とされる国内の企業で働いた経験があり、英語もフィリピン語も完璧。語学でも仕事の能力の上でも叶わないと思わされる人物だった。今もそう思っている。

 

私は4年勤務した後、この上司とは仕事上の方針から口論となり、売り言葉に買い言葉で退社するハメになった。しかし、人間としては尊敬していたのでその後だいぶ経ってからはわだかまりなく会い、言葉を交わす仲となった。

 

だが、風の知らせでこの上司がこのたび、不名誉な形で退社したと聞いた。その後の行方は誰も知らないという。

 

周辺情報によると退社前はフィリピン人の愛人を社内に引っ張り込むなど異常な行動が増え、部下に粗暴に振る舞う一方で、仕事すらしなくなっていたらしい。事実上のクビである。

 

この話を聞いて「あの自分に厳しく、優秀な人がなぜ・・」と絶句したものである。

 

思い当たることはないでもなかった。ほぼ新卒で私が入社した時は、アラフォーのこの上司と新卒の私の間にはアラサーの優秀な先輩社員が数人いた。だが、私を含め皆現地採用なので次々と日本に帰っていった。日本への転職は30代前半までが容易だからだ。

 

その後も現地採用の社員は入れ替わり続けるので、フィリピンに家族のいる彼は自然、常に新人を繰り返し教育する立場になった。

 

このような生活を20年近くも続けるとどうなるか。

 

海外で働こうなんて考える新入りははいずれも20代から30代前半と若く、彼との年齢差は広がるばかり。年をとれば自然考えも固くなるので、年々溝は広がる。

 

一方でバブル経済のフィリピンの給料はこの5年で倍増した。インフレで物価や教育費も上がり続ける。だが、成長の停滞している日系企業で給料は急激なベースアップは厳しい。気楽な独身の腰掛け仕事ならともかく、所帯持ちとして給料を一気に増やすにはジョブホッピングするか日本に帰国するしかない。

 

だが、つぶしの効かない特殊な業界ゆえ、同じ職種でフィリピンで転職するのはほぼ不可能。40を超えると日本に戻っても厳しい。

 

先の見えない自分のキャリアに不安も抱えていたのだろう。

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今振り返れば私が退社する頃にその兆候は現れていた。彼が部下と食事に行き、酒を酌み交わすなどのコミュニケーションは私の入社時から比べて急激に減っていたように思う。

 

もしも、諌め、時には孤独にならないように支えてくれる友人、知人が彼の周りにいれば・・。と感じざるを得ない悲しい出来事だった。