フィリピンの血
フィリピンと他国の実習生の違いを見て、帰国後の成功例の差をこのブログで書いたことがある。
ベトナムや中国では帰国後に起業したり、大企業で出世する元実習生が多く、私がいた組合でも学生数千二百人の日本語学校を経営するベトナム人や、ジェットスキーの輸入を手がけてアウディに乗っている中国人がいた。
だが、フィリピン元実習生でまともな経営者になっている人物はまあ、少ない。
私の知る限り、一番すごいのでセブの町長になった奴がいるが、ドラッグディーラーの兄が覚醒剤密売で稼いだ金で当選したらしい(笑)。田舎町の町長選挙でも2000万円ぐらい資金がいるらしいが、この国でそれだけの現ナマを用意できるのは地主か華僑ぐらい、一般市民は覚醒剤でも売らないと不可能だ。
だから私のフェイスブックは元実習生から「いつ日本に戻れますか。なんとかなりませんか」という悲痛なメッセージで溢れている(実際何人かは3号申請で申請中だ)。
さて、それはさておき、フィリピンに帰国実習生の成功者が少ない理由だが
・植民地時代から続く権力基盤が隠然と残っているため、一般市民は努力しても報われない社会構造。
スペイン系など1割の国民が9割の土地を握り、鋼材など生活必需品の価格は華僑のカルテルがコントロールする。フィリピン人は蚊帳の外。
・算数、語学を含めた基礎教育の欠陥
割り算ができないし、平均や三角形の面積の公式は大卒でも怪しい。
また、法律や工学などの専門書は英語で書かれておりタガログ語や地方の方言しか話せない高卒レベルでは読むことができない、つまり、ビジネスに必要な基礎体力がない。
が原因だと私は考えていた。
だが、最近この考え方を少々改めつつある。
日本で真面目な人間がフィリピンに帰ったとたんダメ男に成り下がるケースが散見されるのだ。
例えば私は、現地で実習生や技術者向けの日本語教育機関と人材派遣業をフィリピンで立ち上げ、共同経営者に日本の大学院を出た優秀なフィリピン人男性を選んだ。
日本留学時代からの付き合いがある大変素晴らしい人物で、広島県内のとある大学院を出て大手日系企業に勤めていた。日本語も英語も完ぺきに話せるほか、フィリピン語と地方言語もいくつか話す。
こと金が関わると大多数が信用できないフィリピン人だが、彼が信じられないようなら国民全員が信じられないとまで私は見込み、セブの日系企業で働いていた彼に声をかけて、事業を共同で行うことを決意した。
だが、一緒に事業をやってしばらく経つと「おや?」というようなことが出てきた。
起業したばかりの時期は満足な収入なんて期待ができない。
どの事業も数ヶ月から数年のスパンはかかるもの。それまでは忍の一字で頑張るのが当然である。
ところが、彼のようなエリートでも、この「忍」が理解できない・・。
起業してしばらく経ち、お客さんのガイドや接待といった営業活動が発生すると「●●さん(私のこと)は僕をただ働きさせる」みたいなことをいい始める。
私は日本で別の事業があるので生活費はそこから出している。フィリピンの事業では持ち出しばっかりだ。それどころかこの事業のために借金までして取り組んでいる。
通訳のアルバイトなどで食いつなぐ彼の懐が寂しいのを考え、飲食や経費はこちらが負担する形で取り組んでいたが、ある日「食事を奢ってもらうだけではすまない」みたいなことを言い始めた。
当然フィリピンの給与では彼の生活は苦しい。日本で給与をもらったことのある彼からしたら私が楽をしている、甘い汁をすっているという疑念がどうしても消せないらしい。
「いやいや、新事業はお互いが辛抱。初期の間は共に持ち出しが発生するのはやむを得ない」と説明すると、その場は理解する。
しかし、しばらくするとまた同じことを言い出すのだ。
いい加減腹が立って問い詰めてみると、彼は苦しそうに「俺はフィリピン人やねん・・」と日本語でつぶやくのだった。
インテリなので頭では理解できるのだが、おそらく、内在する非論理的なフィリピン人思考がコントロールできない。いわば「フィリピンの血」がそう考えさせてしまうのだ。
だから、こちらも一計を案じ、現地にで作業が発生するたびに僅かなりとも現金を手渡すことにした。名目上「お子さんへのプレゼントに」とかなんとかかんとか理由をつけて、である。すると目に見えて感謝し、生き生きと働くのだ。
だが、これは日本人からしたら釈然としない。細々と作業の都度に金をわたし、やる気を出させるのは召使いにチップを渡しているような感覚になる。階級社会である白人の文化だ。
差別的な人の使い方で決して相手に敬意を持った支払い方ではない。「人類みな平等」と日本民主主義教育で教わった私は、わだかまりを感じてしまう。
こういうことを繰り返しているとこちらが給与を払ってる形になるので、対等のパートナーとは思えなくなるのが人情というもの。
だが、フィリピン人は基本、「1年後の1万ペソより今日の百ペソ」なのだ。
どんなにインテリになろうとこの思考が植え付けられている。
彼の名誉のためにいうと日本にいる時はこんな風ではなかった。
だが、フィリピンという国にいるとこうなってしまう何かがあるのだと私は思う。
パプアニューギニアの激戦区で旧海軍兵士だった祖父からは「南方ボケになるなよ。戦争中はそういう奴がいっぱいいた」と聞かされたことがある。
何を言われているのか、当時は理解できなかったが、今はわかる。
まさに環境は人を作るのだ。
日本にいれば実習生は遅刻せず、驚くほど真面目に働く。
「家族のためにお金を稼ぐ」という目標が明確なフィリピン人は、日本人の若者に比べて使いやすい面もたくさんあるし、1年後には日本語でラインのメッセージで社長とやりとりを自在に行うような子までいる。
世界中に出稼ぎに行く国民だから環境適応能力は高いのだろう。
だが、これは逆にフィリピンに帰るとその環境に「適応」してしまうことも意味する。
とある知人は優秀だった実習生が帰国後、室内でサングラスをかけたまま話をするので叱り飛ばしたことがあると言っていた(ちなみにこれはフィリピンではさほど失礼な行為ではない)。
日本ではこんなことはしなかったのに、である。
日本で実習生としてAクラスの人材が帰国後にプータローに成り下がるケースも枚挙にいとまがない。
これは万事ゆるく、万年無職のごくつぶしですら周りにたかって気楽に生活できるフィリピンという国の発する磁力なのかもしれない。