フィリピン実習生とアレコレ

フィリピン技能実習生にまつわる雑感です。現場から見た外国人労働者との関わり、特定技能ビザの問題についても記します。

フィリピン人への指導方法(その2)

フィリピン人を含む外国人の使い方についてもう少し考察を重ねたい。


戦前、満州に建国大学という多民族のエリートを集めて作られた全寮制の学校があった。

建国大学 - Wikipedia

 

日本や中国、韓国などからものすごいエリートを集めて寮生活をさせた大学だったらしい。同大学について記した『五色の虹』(三浦英之著)で、ある台湾人卒業生が「中国人は利で、韓国人は情で、日本人は義で動く」ので、「これを踏まえてそれぞれを使えば簡単だ」、と言っていたが、けだし名言である。

 

民族によって取り扱い説明書が違うのだ。


戦後満州で捕虜になった日本人技術者は設備の維持管理を中国政府の指示でやらされた。満州政府が作った鉄道などの設備は当時世界の最高水準で、中国人では管理できなかったためだ。

 

面白いのはこの時の日本人は非常に真面目にメンテナンスや運用に取り組んだこと。一回やり始めたことは最後までキチンをやらないと気が済まない民族気質。なんだかよく分かる。

 

これが中国人なら「どうせ日本人のものになるなら適当にやってやれ」となるところだが、日本人は違う。「仕事と思うな人生と思え」と取り組んだのだ。


だが、中国人(実はベトナム人も中国と大して変わらない)のわが利益しか考えず、信じるのは自分と家族だけ、という生き方も歴史を見ればまた必然と言える。

 

モンゴルや満州族など、数千年の間、異民族から侵略されたり仕返したりしている大陸では、どんな権威も権力も所詮は仮初めだ。敗者の男は皆殺しで、女子供は奴隷と「民族浄化」が当たり前。

 

過酷な歴史を繰り返せば、他人を一切信用せず、本心を隠し続けることに長けた(=嘘つき)遺伝子しか残るまい。異民族の権力者には面従腹背が唯一生き残る術なのだ。

 

中国国内の国共内戦を描いた『台湾海峡1949』という本には、捕虜になった国民党軍兵士が、その場で共産党軍の兵士にさせられ、たった今まで味方だった陣地に突撃させられる話が出てくる。

抵抗すればごみのように即処刑だ。

 

台湾海峡一九四九 https://www.amazon.co.jp/dp/4560082162/ref=cm_sw_r_oth_api_i_s0piBbXJQ3TFA

 

 

ベトナム戦争でも、戦争が始まる前に兄弟で話し合い、それぞれ南北に別れる話がいくらでもある。共産主義も民主主義も信じない。一族の血を絶やさないことが最優先なのだ。

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また、どちらかが優勢になったとたん、兄弟の絆を使って寝返り、生き残りを図る保険の意味もあるのだろう。

 

近藤紘一氏はベトナム人には決死隊という言葉はあっても、日本みたいに死亡率100%の特攻隊という発想はない。と著書で述べている。

安易に特攻作戦をやったらとうの昔に民族が絶滅するくらいベトナムも戦乱の時代が長い。中国、軍閥、フランス、アメリカ、共産党と次々にボスが変わるんだから、命を捨てることを前提にした作戦なんか安易にできないのだ。

 

これは翻って言えば、政府や国、はては会社など、他人が作ったものには殉じない。絶えずあらゆる権威を疑ってかかるタフな民族であることの現れである。

 

華僑があつまるシンガポールリー・クアン・ユー元首相は日系企業でプロジェクト失敗の責任を取って自殺する日本社員がいる事実に驚いている。

 

中国人ならさっさと転職するか、失敗するような仕事を命じた会社や上司を逆に批判するだろう。ちなみに、フィリピン人も自分が悪いとは絶対認めない。

 

それはそうだ。異民族がボスなら、自分たちは奴隷も同然。失敗を正直に認めれば一族郎等皆殺しにされかねない。人情溢れる大岡裁きは植民地に存在しない。

絶滅させられたくないなら、他人のせいにしてでも言い逃れるしかないのだ。

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↑オーストラリアはアボリジニを虐殺して作られた。植民地はこんなのが常識


フィリピンは大陸と違う島国だから、「殺るか殺られるか」を長年続けてきたベトナムや中国に比べたら、まだ穏やかな気質だ。本質的にトラブルを避ける国民性は比較的日本に近いといえよう。

 

しかし、あくまで比較的に、だ。所詮、日本人とは全く違うロジックで動く。

だから、「外国人労働者は会社を信用しないし、日本人には心は開かない」という前提に立つべきだ。


さて、この大前提に立って工場はどう運営したら良いのだろうか。(続く)