フィリピン実習生とアレコレ

フィリピン技能実習生にまつわる雑感です。現場から見た外国人労働者との関わり、特定技能ビザの問題についても記します。

追い詰めない文化

フィリピン人と接しててつくづく思うのはゆるい国であるということである。

 

まず、この人たちはお互いを責めることがあまりない。

「~しなければ」「~でなければ」という意識が非常に薄い。

 

沖縄では「なんくるないさー」というらしいが、同様の意味で「バハラナ」という言葉が広く使われる。要は成るように成る、適当でいいというニュアンスである。

 

年中南国なので、バナナも魚もたくさん取れるのだから、獲りたい奴がとってみんなで分ければ良い。寝たければそこら辺のヤシの木の下で寝ても凍死はしない。

 

貯金は不要だから、貸し借りなんて細かいことは言わなくて良い。万事ゆるーくやって近代まで生きてきたのだ。

 

 

自殺者が年間3万人というストレス国家日本は、フィリピンからこの点は学ぶべきと私は考えている。この柔らかさが、優しさや寛容さにつながるのだから、より弱者が生きやすい社会とも言える。

 

よくよく考えたら昔の日本はもっと適当だったはずで、その時代が全て悪かったとは誰も思わないだろう。

 

とはいえ、南国縄文時代のような物々交換社会ならともかく、現代社会でこの考えはいろいろと弊害が出てくる。

 

特にフィリピン人相手に金銭が絡むと、貸した方は大変だ。フィリピン人が「金貸して」と言ってくるとほぼ返さないと考えて良い。

 

南国は「所有」の概念が緩いので、金だけでなくそのへんの物を勝手に持って行ってしまう。シンガポールでも、昔、緑化政策で植樹を始めたら住民が勝手に持って帰るので政府は大変困ったと聞く。

 

つい最近、このトラブルがうちの実習生に起きた。在日フィリピン人でフィリピン食材を販売しているおばはんに金を騙し取られたのだ。

 

そもそも、この手の在日フィリピン人にろくな奴はいない。ほとんどがフィリピンパブで来日し、ビザ欲しさに日本人と結婚した下層階級ばかりだからだ。

 

ろくな教育は受けてないからモラルなんて望むべくもない。若いうちに売春まがいの商売を経験するとマトモな性格にはならない。

 

生活保護を不正に受給しながら覚せい剤不法就労あっせんなどロクでもないことに手を染めている奴が多いのだ。

 

だから入国した実習生にはまず「在日フィリピン人に気をつけろ」と警告している。

 

にも関わらずこの実習生はおばはんにフィリピンでの投資話をもちかけられ、まんまと17万円をだましとられたのだという。割り算ができないフィリピンパブ上がりにビジネスができるわけがない。アホである。

 

問題はこの後だ、実習生は「詐欺罪で訴えたいので力を貸してください」と言ってきたのだ。「アホか、日本で17万円程度のはした金で訴えるバカがいるか!あきらめろ」と叱り飛ばしておいた。

 

ちなみにこういう場合は金を取り戻そうなんて考えてはいけない。ない袖はふれないのだから、相手を追い詰めるだけである。

 

そして、17万円の借金はフィリピンでは死人が出る額だ。

 

日本式に筋や道理で追い込むと、銃社会フィリピンでは最悪の事態を招きかねない。

私のフィリピン人の義母も数千円単位の集金に行ったら相手と口論になり、仕返しに自宅を銃撃されたと言っていた(笑)。金額がでかくなると撃たれるのは家で済まない。

 

ではどうすれば良いのか。良い例がある。

 

このほど、知人の日本人女性経営者(美人)がフィリピンで交通事故にあった。相手のフィリピン人男性運転手のミスによるものだったが、お互い怪我はなく車同士が傷つく程度で済んだらしい。

 

だが、最初は謝っていたこの運転手。警察が来た途端、前言を翻し自分のミスを否定しはじめたのだという。「舌の根も乾かぬうちに」とはこのことだが、どの国の外国人もこの手の嘘を平気でつく。日本人から見たらヘドが出る行為だ。

 

この女性の偉いのは、そこで「この嘘つき!さっきと言ってたことが違うやろ!」と問い詰めなかったのだ。

 

「ではお互いが悪かったということにしましょう」と譲るのである。

 

なおかつ、この嘘つき運転手の職業がエンジニアだと知ると、「次は仕事を頼むわね」と笑顔で発言しているのだ。神か仏の所業である。私には到底できない・・。

 

だが、この寛容さこそがフィリピンで長年生活できる所以でもある。

 

本当に譲れないこと以外は「なんくるないさー精神」で譲りまくる。水に流しまくることが大切なのだ。

 

もちろん日本にいる実習生にこんな対応をしてはいけない。めちゃくちゃになってしまう。

 

しかし、相手の土俵で生活するなら、理解不能の異文化に対応する器のでかさ、許容力、人間力が必要なのである。

 

海外生活はいうほど簡単ではないのだ。