新マニラ市長は将来の大統領か(2)
(前回の続き)
超格差社会フィリピンでも貧困層上がりの政治家は他にも存在した。
有名どころでは首都圏の最大のビジネス街、マカティのビナイ元市長だ。太ったなまっちろい顔か中国人顔(華僑)が多いこの国の政治家には珍しく浅黒いマレー系の顔をしていることからわかるとおり、貧しい家庭に生まれている。
苦学して日本の東大に当たるフィリピン大を卒業して弁護士となった優秀な人物で、1988年からマカティのトップを務め、同国最大のビジネス地区に発展させた立役者だ。
だが、この国の貧困層上がりのリーダーは皆、成り上がるや否や頭を悪いことに使い始める。
任期満了後は、市長の座を嫁→息子→娘と同族でたらい回しにして市長の座を私物化。バブル経済の恩恵にあずかるべく、同市内で新築された全てのコンドミニアムから1部屋(一部屋だいたい1000万円から3000万円)を自らに貢がせる仕組みだったと言われている。
東京でいえば丸の内のマンションすべての一室を市長に献上させた形だ(笑)。目もくらむばかりの財力を得て一時は飛ぶ鳥の勢いだった。2016年の大統領にも出馬し、下馬表ではトップだったにもかかわらず上記の汚職疑惑が噴出し、落選してしまった。
何が言いたいかというと、この国の政治家は日本と比べ物にならないくらい悪く(ただ、その分日本の政治家以上に金持ちだ)、市民の味方なぞ幻想に過ぎないのだ。口では偉そうにいうが、私腹を肥やす馬鹿者だらけである。
首都圏最古の都市、マニラ市も同様。前市長は元大統領のエストラダ氏が6年にわたって務めてきたが、彼は日本でいえば勝新太郎と森喜朗を足してさらに頭を悪くしたような人物だ。
違法賭博などの献金10億円以上を着服した罪で大統領の座を追われ、最悪終身刑だったのだが、その後なぜかうやむやになり、市長として復活した。
勝新太郎みたいに俳優としては国民的人気があるのだが、なにせ勝新だから、愛人の数は10人と公言するわ、ギャンブルは大好きだわと無頼そのもの。
マニラ市長時代は1959年に作られた歴史あるマニラ動物園を民間に売却して、賭博目的の闘鶏場にするなどととんでもないことを言いだしていた。おおかた中国人から賄賂でももらったのだろう。
知人にエストラダ元市長のスピーチライターがいるのだが、「難しい。単語が読めない」と書き直しを命じられることに閉口していた(笑)。そのぐらいアホである。
しかし、モレノ新市長は違った。就任するや否やマニラ動物園の保全を発表。「市民の憩いの場を賭博場にはしないし、売却するつもりもない」と明確に語ったのだ。
次にわずか数日で市内最大の屋台街ディビソリア地区の一掃して見せた。
日本でいえばアメ横にあたり、ウエディングドレスから家具まで揃わないものはないといって良いくらいの巨大屋台街だが、スリやひったくりも多く、決して日本人に馴染みのある地域ではない。
ここは道路上に屋台が溢れ、事実上の歩行者天国状態になっていた。
だが、昨今首都圏で問題となっているのが狂気と言って良いほどの渋滞。10年前なら30分程度の距離でも現在は下手すれば2〜3時間はかかるだろう。通勤に2時間以上かかる人も珍しくない。
背景にあるのは経済発展に後押しされた自家用車の急増。ここ10年で車の数は10倍ぐらいに増えたのではないか?
マニラ首都圏は人口1300万だが、周辺人口合わせて3000万人の都市といわれる。人口だけなら東京以上の規模だ。
そこを走る鉄道はわずか3本のモノレールのみ(2019年現在)なので、公共交通の不備→自家用車を買う→渋滞悪化→不便なのでさらに自家用車が増える→渋滞悪化といった現象が起きている。
これを踏まえて同市長は道路の違法建築や屋台一掃に乗り出したのだ。
この過程で反対する違法屋台業者から、1日500万ペソ(1千万円)の賄賂申し出を拒否したことも明かしている。
続いて、「学校、バスケットコート、病院などに政治家の名前をつけたり校内に書くことを禁ずる」と発表した。
「建設に使われたのは政治家のカネではない。市民の金(税金)だ」「教育の場に政治を持ち込むべきでない」とも。
日本から見るとピンとこないが、フィリピンでは税金はおろか、海外からの援助で建てられたものにも政治家が自分の名前をつける公私混同が横行している。
ありとあらゆる公共事業には「●●市長のおかげで」と仰々しく垂れ幕が掲げられ、ぶよぶよに太った政治家の醜い笑顔は町のいたるところで見られる。
まさにやりたい放題だ。
これは、そもそも政治家も公務員も権力者は皆「神から与えられた特権」と考えているからだと思う。
公僕や血税なんて言葉は考えたこともないのだ。税金=上納金ぐらいにしか考えてない。
だが、国民も国民で、そんな権力者にこびて自分も甘い汁の残り物に預かることが最大の関心事。実際、実習生にこういった話をしてもピンとこないようだ。「市長はエライひとだからしょうがない」ぐらい認識である。
おそらく縄文時代に毛の生えた程度の部族国家からいきなりアメリカやスペインの植民地になり、お仕着せの民主主義を被せられたので、頭の中が部族のままなのだ。(まあ、日本の田舎のおっさん、おばはんも似たようなところはあるが)。
そんな民主主義の失敗国家と呼ばれるフィリピンに、「賭博よりも教育」「賄賂よりも秩序」「公僕と血税」といった概念を理解している新世代のリーダーがついに出てきたことを意味する。発言がいちいちマトモなのが新鮮なのだ。
私はフィリピンの政治はジョークだと長年考えていた。しかしもはやその認識を変えねばならないかもしれない。
日本もこんな若く、優秀なリーダーが出てくるべきなのだが…。