チップ文化と階層社会
取引先のフィリピン人社長が家族で来日したので、ディナーに招待した。大金持ちで娘二人は母親譲りの美人だ。
さて、この二人に日本にはチップ文化がないというと驚いていた。
2012年にマスターカードが行った調査では、フィリピンはチップを渡す比率が75%と高いらしい。タイ89%や香港71%とならんで、アジアで最も高く、日本の3%とは大きな違いがある(ウィキペディアより)。
だから日本人はいくら、どうやってあげるのかわからない。わけのわからない外国通貨で慣れないチップをあげるなんて苦行に等しい。
日本でも戦前はチップは普通にあったらしいが、我々には馴染みのない習慣だ。
私も学生時代の引っ越しアルバイトでもらった記憶があるが、あくまで近年のそれは祝儀の側面が強く、サービスの対価に払う意味合いは薄い。フィリピン人社長は「そういえば、大阪のホテルでボーイにチップをわたそうとしたら笑顔で断られた。カナダではチップが少ないと文句を言われたのに!」と感動していた。
フィリピンではホテルはもちろん、レストランから売春婦に至るまでチップは常識だ。
マニラ国際空港では、なぜか便所で清掃員が待機している。水道の蛇口をひねったり、手拭き用の紙を甲斐甲斐しく用意するのだが、何のことはない、後でチップを要求してくるのだ。
卑屈な笑顔で「キモチ、キモチ(気持ち=心付け)」とカタコトの日本語でねだる態度が不快である。こんな乞食みたいな奴が空港にいるのはフィリピンくらいだろう。
日本でチップが廃れた理由は一億総中流の文化にあると思う。近年は格差社会化が進んだとはいえ、学生がバイトを二つ三つ掛け持ちし、夜昼なく必死で働けば、大概の高級レストランやブランドショップに行ける。店を一歩出ると客と店員は対等になり、サービスを受ける側と提供する側が入れ替わる可能性すら高い。こんな国は世界にない。
海外でもチップは幹部職員にわたすと反対に失礼になるらしい。これは、幹部になると店を出たら階層が対等(もしくは逆転)になるからだろう。
つまり、階層社会で「身分が下の人」にわたすものなのだ。賃金が低く、やる気のない労働者の鼻先にボスがぶら下げる人参である。アメリカ人は「(チップを減らすことで)サービスの悪いウェイターに罰を与えることができる」と考えるらしいが、この時点で日本人とは相容れない。
日本人が持つこの中流感覚というのは世界がうらやむ財産だと思う。「我々は生まれながらにして平等である」と無意識に教えられているからだ。未来永劫、日本でチップというものが流行らないことを願うばかりだ。