フィリピン実習生とアレコレ

フィリピン技能実習生にまつわる雑感です。現場から見た外国人労働者との関わり、特定技能ビザの問題についても記します。

殺し屋は元共産ゲリラ

15年ほど前の話だが、ミンダナオ島中部にイスラム教徒との紛争を取材に行ったことがある。その時に元共産ゲリラ新人民軍(NPA)のゲリラ兵士だった青年と出会った。

 

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新人民軍(NPA

 

なかなか強烈な出会いだったのだが、当時はウラ(事実関係の確認)が取れなかったので記事にはできなかった。ここで記憶を辿りながら独白を再現してみたい。

 

NPAとは1969年から共産主義革命を目指し政府に対する武力闘争を続けている。わかりやすく言えば昔の日本赤軍みたいなものである。

 

しかし、社会主義者を公言する現大統領のドゥテルテ氏はNPAに対する心情的な共感をあらわにしており、現在フィリピンで行われている麻薬密売人に対する超法規的殺人は元NPAゲリラを使っているのだ。

 

想像するに、政府との武力闘争に疲れたゲリラOBの再就職先がドゥテルテ専属の殺し屋なのだろう。確かに血で血を洗う闘争を繰り返して来たゲリラが、すぐに堅気の仕事に就けるわけがないし、この手の「経験」は豊富だからだ。

 

事実、ことし9月、上院議会の聴聞会に元NPAの殺し屋とされる男性(57)が出席し、「ドゥテルテの命令で麻薬中毒者だけでなく政敵も殺してきた」「死体はワニに食わせた」と証言している。

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上院で証言する元「殺し屋」エドガー・マトバト氏

 

私がミンダナオ島中部キダパワン市を取材中に出会った元NPAメンバーは青年ホセ(仮名)と言った。確か当時20歳そこそこだったと思う、日本人神父のいるカトリック教会に住み込み、寺院で言えば小僧のような仕事していた。

 

フィリピン人には珍しく大柄で、身長は180cmくらい。ごつい体に似合わず非常に優しい性格で、教会で保護されている孤児たちとバスケットボールをして遊んでいたことを思い出す。

 

だが、神父さんによると彼はNPA時代、多数の警察官や兵士を殺害していたのだという。すでに投降しているので公式には恩赦扱いになっているが、地元に帰ると、警察から報復で私刑にされかねないため、教会にかくまってもらっているのだ。

 

彼の生い立ちは戦前の日本では良くある話。父親を早くに亡くし、貧しい家庭環境ゆえ進学ができなかった。高校時代は働きながらボクシングに打ち込み、地域チャンピオンにまでなったという。練習道具も満足にないため、ウエイトベルトがわりに腰に石をいれた布を巻きつけてトレーニングしていた。

 

真面目な学生だった彼が、NPAに入ったきっかけは地元兵士からのいじめ、ある日川で魚を取っていたところ、武器を隠しているのではないかと疑われ荷物をひっくり返されたりする仕打ちを受けたのだ。

 

政府は貧乏人なんか相手にしてくれない。「村で揉め事が起きても警察は金持ちの味方にすぎない。NPAは正義の味方」と解釈して叔父が幹部を務めるNPAの部隊に入ったという。

 

高等教育など受けていないので共産主義など理解できない。役割は「強きをくじき弱きを助ける」任侠団体やロビンフッドみたいなものと理解していたようだ。

 

例えば村で盗難があったとする。警察に相談しても賄賂を払わない限り知らん顔。相手が金持ちだった場合、逆にやられかねない。だから、こういう時、村人はNPAに依頼することがある。

 

NPAに入るには入団試験があるらしい。ホセの入団試験はココナッツを盗んだ人物の処刑だった。被害者である村人からの依頼を受け、犯人を呼び出し、自分で穴を掘らせた後に命乞いする犯人の頭を拳銃で撃って処刑した。文字通り墓穴を掘らせたわけだ。

 

こういう活動をしていれば当然、警察や軍は敵で、定期的に襲撃を繰り返していた。ホセは普段は普通の高校生として学校に通い、叔父から収集がかかると襲撃に参加する日々を送った。授業中に密かに呼び出しがかかったこともあるという。

 

体格の良いホセは重機関銃M60を担当。パトロール中の国軍兵士への待ち伏せ攻撃中に機関銃が弾づまりを起こして逃走、田んぼの泥の中に身を隠して助かったことも。

 

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M60機関銃

 

ミンダナオ島と言えばイスラム教徒のゲリラも存在している。政府に対して共闘しているのかと思えば、さにあらず、NPAはイスラム教徒とも殺し合いをしていたらしい。ヤクザ同士の抗争みたいなものか。

 

ムスリムイスラム教徒)は怖い。一度仲間が捕まり、首をゆっくりと切られて殺された。断末魔の叫び声をこちらに聞かせるためだった」と顔を強張らせて語っていた。

 

そして、彼はある凄惨な事件をきっかけにNPAを抜ける。深夜、部隊が山の中で野営している時に、暗視ゴーグルをつけた軍の特殊部隊に襲われ、仲間が次々とナイフで殺されたのだ。

 

ちなみにフィリピン軍はほとんどが腰抜けだが、ごく一部の特殊部隊に限り、米軍に訓練されているので練度が高いのだ。

 

就寝中に異変に気がついたホセは銃を乱射して仲間に警告を発し、逃げ出した。途中で落とした銃を拾っていた仲間が倒れた。銃はNPAにとって補充が困難な貴重品だからだ。「奴は銃を拾って肩にかけようとしていたところを撃たれた。目の前だったのでそのシーンはよく覚えている」と静かに話す。

 

ホセは倒れた仲間を担いで逃げ、後で叔父からは褒められたのだという。しかし、部隊は数人を残して壊滅させられ、彼は投降を決意する。

 

投降後も軍や警察の報復を恐れて拳銃は常時携帯し続け、神父によると教会に来た時も銃を持っていたらしい。

 

とはいえ、彼は非常に温和な性格で、とても人を殺すような人物には見えない。英語もうまかったので、勉強もよくできたのだろう。生まれる場所さえ違えば文武両道の優秀な学生だったと思われる。

 

今フィリピンで繰り広げられる3000件を超える麻薬密売人への超法規的殺人を実行しているのはこういう生い立ちの人たちなのだ。あの温和なホセは今どこで何をしているのか。彼がヒットマンになっていなければ良いのだが・・。