NOが大好きフィリピンの役人
フィリピン実習生が母国の親の病気で急遽帰国することになった。
パスポート更新中だったため、大阪の領事館に急遽パスポートの回収に行ったら「病院の証明書がないとパスポートを返さない」「証明書をメールで送れ」と言われたらしい・・。
そもそも旅券は個人の所有物だから、取り戻すのは身分証明書だけでいいはずだ。
どんな理由で取り戻そうと自由のはず。第一メールで送る証明書にどれほどの信頼性=意味があるというのか?
フィリピンの役所ではこういうことがよく起きる。とりあえず奴らは「NO」と言いたいのだ。NOという権力を握ったからとりあえず行使したいらしい。
この考えは宿命的に同政府全てに蔓延している。例えば警察官は気安く発砲する。人質立てこもり事件で降伏した犯人を蜂の巣にするだけでなく、人質ごと穴だらけにしてしまうなんて当たり前。気が小さいし、撃ちたくてたまらない(力を行使したい)からだ。
この背景にあるロジックが私にはいまだによくわからない。道理が通らないのだ。
ベトナムならNOというときは=「賄賂がほしい」と相場が決まっている。賄賂の価格表も、コネや重要度により厳密に定められているため、金さえ積めばだいたいのことが問題なく進む。汚いが論理的である。
だが、フィリピンの役人の場合はこのように「NOといいたいから言っている。理由はない」というケースが多発する。金がほしいとは限らないのだ。たぶん、本人もなぜ自分がNOと言っているかわからないと思われる。
脊髄反射なのか右脳なのかわからないが本能的にやっているのだ。
知人の経営者はこれを評して「金槌を持った子供は叩きたがる」という言葉を言っていたが、まさにその通り。子供と同じで叩きたいから叩く。目的はないのだ・・。
分析すると、背景としては公僕という考えが全くないことがあげられるだろう。
彼らは「Luck」という言葉が大好きだが、公務員や権力者になるのは「神のご加護=運がよかったから」と本気で信じている。
つまり、選ばれし者になれたのだから、ここぞとばかりやりたい放題したい。やっとこさ手にした権力は行使しまくりたいのだ。
病気の親に会いたいという国民の気持ちなんてどうでもいい。国益なんて考えたこともない。(口ではいうが意味がわかってない)
先日定年退職したまともな元高級官僚にこの質問をぶつけてみたら、「それを"Power Hungry"というのだよ。私が現役の時は国民の邪魔しないことが信条だったがね」と穏やかに話されていた。
フィリピンの発展を妨げている1番の要因がこれだと思う。しかし、納税者のため、国民のために権力を預かっているという謙虚な考えに彼らが至るのにはまだ何世代かかかりそうである。